Profile
プロフィール
松丘ひろ子
今の自分に自信が持てない。人からの評価が気になり自分さえ我慢すればと頑張りすぎてしまう。考えれば考えるほどモヤモヤし、不安で息がしづらくなるなど、自分自身が見えなくなってしまう前に、一息つける時間をもってみませんか?私に話すことで、あなたに笑顔の花が咲きますように。あなたと一緒に歩み、あなたを取り戻すための応援者になりたいと思っています。
得意な相談
仕事・キャリア、母娘、職場、仕事のこと全般
パワハラ
カウンセリング方法
ビデオ通話、音声通話
ストーリー
私は大学卒業からつい最近まで一企業の営業事務として17年勤めていました。現在は実家がサポートが必要な状態であるため、 アロマセラピーやカラーセラピーを学びつつ、カウンセラーとして活動させていただいてます。
家族構成は夫と私の二人家族。今では珍しくもありませんが、夫とは年齢が一回り離れているため、結婚当初は年の差婚と周囲からよく言われておりました。兄弟はおらず一人っ子です。
思春期には教育熱心すぎる母に反発し、学校にも家にも居場所が無い窮屈な世界だと思い、命を絶ちたいと思うことも多々ありました。しかし、今つくづくあの時思いとどまってよかった!!今が一番楽しい!!と心の底から思えるのです。
私が小学生の頃、同学年に毎日お父さん、お母さん、おばあさんと一緒でないと通学することが出来ない、 不登校の男の子がいました。その子は、学校にきても授業中家族の方が居ないとわかると席を立ってしまう状態で、友達にも教師にも心を開かず、ただ部屋の隅で体育座りをし、無理に身体に触れると泣き叫んで飛び出してしまうような状態。大人たちが頭を抱える中、なぜか彼は私にだけ心を開くようになり、私が一緒ならば学校に行きたいと言い、結果6年間同じクラスで過ごしたということがありました。 当時の私はなぜ私なのかがわからず過ごしていましたが、この出来事が人の心に寄り添い 共に歩むということを知るきっかけになりました。
中学に上がり1年の2学期までは順調に人間関係を築けているように思っていたのですが、3学期に入ると、私の行動がおかしいと周囲が言い出し、あの子には近づかない方がいいと言われるようになり集団無視が始まりました。私はそのことを担任に相談したのですが、「まだみんな子供だから成長と共に変わるし、あなたの思い込みに巻き込むな」と言われ相手にしてもらえませんでした。
一度だけ母に相談したこともありましたが、母が学校に抗議に行ったことで余計にこじれてしまい 「なぜ親に言ったんだ。嘘をつくのもいい加減にしろ」と教師から言われ自分の居場所が狭くなるばかりで 辛く、一貫校であった為、そのまま自分が耐えればいいのだと思いながら6年間過ごしました。
周囲からの目を気にし、成績も最下層の状態で、大人になれば解決する!!と自分に強く言い聞かせ、何度も死を意識しながら日々を過ごし、いよいよ大学受験の時。大きな出会いがありました。
小学生の頃の経験や、今目の前にいるこの子は私をどう見ているの?何を思っているの?ということを知りたくて心理学科を目指していたのですが、面接官に対して自分の言葉が出てこず参考書の例文のような回答をしていました。すると面接官である教授から「君は何を考えているの?思ったことを口に出していいんだよ?私は一人の人間として、君の気持が知りたいんだ。」私は初めてありのままでいいと言われたことに驚きつつ、心の底からうれしく思いました。 この教授に心理学を習いたい!!結果私は4年間教授の元で心理学を学び、学生生活の楽しさも、信頼できる大人のありがたさも得ることができました。
恩師である教授と出会えたことで、私の気持ちにも大きな変化があり、私のように生きづらさを感じている学生の為に心の居場所になれるスクールカウンセラーになりたい!!と思うようになりました。しかし、当時はまだ自分自身が負った傷が癒えておらず、感情の浮き沈みが激しかったこともあり断念することになります。
その後は会社員として勤め、結婚し、自分でも順風満帆に過ごしていると感じていたのですが、 結婚と同時に会社から言われたこと。それは会社としてキャリアアップさせる予定は無いという言葉でした。
また、その後もことあるごとにモラルを疑うようなことがあり、次のチャンスが巡ってきた時に判明した家族の病と入院療養。その時にも会社側からかけられた言葉は、迷惑をかけるな、社員なのだから 家族のことなど後にしろ。子供も居ないのに甘えるな。仕事が終わるまで帰るな。と散々なもの。
当時の上司は気に入らないことがあるとすぐに物を投げて大きな音を出したり、メールで暴言を吐いたりする人だった為、もともと大きな物音に対して萎縮してしまうことが多い私は恐怖に感じてしまい、 機嫌を損なうことが無いように、自分でやる必要が無い仕事までこなす毎日。 仕事と家庭のバランスをどうとったらいいのか、会社で待ち受ける恐怖と家族を失うかもしれない不安の間で浅い眠りしか取れない状態になりながらも、ただ無心で仕事を続けていました。
人員が増強されるわけでもなく、休みを取れば白い目で見られ、朝早くから日付をまたぐギリギリまで 連日頑張る日々。どうして良いかわからなくなり高額の縁起物を持ち、結果それが詐欺まがいの商法と分かり落ち込むこともありました。その間も状況は何も変わらず、新規プロジェクトの立ち上げなどで忙しくなる一方。 結果長年勤めたものの心が限界を迎え会社を離れる決断をしました。
退職を決めた時、私が一番に考えたことは初心に帰るということでした。自分がどんな存在でありたいか。 人に寄り添い共に歩むこと。私と同じように仕事と家庭で悩む方に寄り添えるようになりたい。 私と一緒だから笑顔になれると言ってくれた人がいた。私は人の笑顔が好きだ。支えとなれる存在になりたい。 そう思った時、大学生時代に恩師に救われたことを思い出したのです。
私はもう一度心理学を一から学び始めました。 学ぶ日々の中で、自分の周囲にいる多くの仲間にも気付くことができ、一人で頑張ろうと周りが見えなくなっていたことにも気が付きました。 最終出勤日に多くの方が部署を問わず私の席まで足を運んでくださり、今までありがとう。行って欲しくないけど行ってらっしゃい。と言っていただけたことは、自分が今まで頑張って来たことが間違っていなかったと 思うことができ、とても光栄なことでした。
しょって立つことは素晴らしいことですが、そればかりでは倒れてしまいます。また情報化社会が進むにつれ、不安を増強させるものが増え、現在の自分と重なりどんどん暗く落ち込んでいってしまうことも増えているように 感じます。口に出して話すことで共に歩む仲間が増え、一緒に向き合うことで状況は好転していきます。
一人で抱えず、まず話してみてください。あなたはあなたのままでいいと力強く言える応援者として、お手伝いできればと思っています。
資格
- JOCP認定 オンライン心理カウンセラー
- JOCP認定 オンラインチャイルドコーチング
- JOCP認定 オンラインメンタルトレーニング
- JOCP認定 アンガーコントロールカウンセラー
- 西洋式臼井レイキマスター
- JAAMPカラーセラピスト
- メンタル士心理カウンセラー
- メンタル心理インストラクター
- 心理アロマアドバイザー
キャリア
- 小学生の頃、不登校で学校に来ることが出来ない男の子のサポートを6年間経験する。
- 中学~高校の間に周囲になじめず集団無視が始まり、自分の居場所がわからなくなる。
- 大学教授の恩師と出会い、同じ思いの学生の居場所になりたいとカウンセラーを目指すも断念。
- 社会人として会社に勤める中でモラハラを経験。
- 現在これまでの経験を活かし、カウンセラーとしての勉強と活動を開始。