石橋里子

カウンセラー

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プロフィール

石橋里子

ひとりで抱えてきた悩みや、誰にも言えなかった気持ちを、ここでは安心して話してください。うまく話せなくても大丈夫。心に寄り添いながら一緒に心をほどき、自然と自分らしく、望む人生へ歩んでいけるよう伴走します。

得意な相談

恋愛・婚活、夫婦問題、家族問題、親子問題、人生相談

カウンセリング方法

ビデオ通話、音声通話、対面(対面可能エリア:千葉)

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Story

ストーリー

私は、3人兄弟の長女として生まれました。

幼い頃は、曽祖父母、祖父母、父、母、私、弟、妹の9人家族。

両親は20歳のときに私を産み、経済的にも決して余裕のある家庭ではありませんでした。共働きだった両親に代わり、私は曽祖父母や祖父母と過ごすことが多い子どもでした。

そこには、私をそのまま受け止めてくれる、無償の愛がありました。

一緒に過ごす時間。
見守ってくれる安心感。
「ここにいていい」と感じられる場所。

幼い私にとって、曽祖母や祖母、祖父は大切な存在でした。

一方で、祖父と父はとても厳格でした。

兄弟げんかやいたずらをすると、

「長女なんだから」

そう言われ、私ばかりが叱られました。

「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」

いつしか私は、自分の気持ちよりも、周りの顔色を優先するようになっていました。

そして私は、ずっと弟や妹がうらやましかった。

私は「お姉ちゃんだから」と我慢しているのに、
弟や妹は甘えることができる。

特に私は、弟に嫉妬していました。

「どうして私ばかり我慢しなければならないんだろう」

そんな気持ちを抱えていました。

でも今振り返ると、その嫉妬の奥には、

「私も愛されたかった」
「私も甘えたかった」
「私も大切にされたかった」

そんな小さな私の願いがあったのだと思います。

そんな私にとって、曽祖母や祖父母の存在は、心のよりどころでした。

でも、年月が経つにつれ、大切な人たちは一人、また一人と亡くなっていきました。

そして、無償の愛を感じていた人たちがいなくなったとき、

私は、

「これから私は、誰とどう関わっていけばいいんだろう」

と、途方に暮れるようになりました。

両親とは、どう関わればいいのかわからない。

何を話せばいいのかわからない。

どうすれば認めてもらえるのかわからない。

「お父さん、お母さんに愛されたい」

そう思う一方で、父の顔色をうかがい、母のことを心配し、家族の問題を背負う。

本当の自分の気持ちを話すことは、できませんでした。

そして成長するにつれ、父がお酒を飲むと母に暴言を吐き、手を挙げるようになりました。

私は、母を守らなければいけない。

両親がいなくなってしまったらどうしよう。
母が怪我をしたらどうしよう。
死んでしまったらどうしよう。

毎日、不安と恐怖の中で、私は両親の仲裁役をしていました。

気がつけば私は、「自分がどうしたいか」よりも、「家族がどうなるか」ばかりを考えて生きていました。

そして、私が20歳の頃から、今度は弟の経済的な問題、借金苦も始まりました。

幼い頃から弟に嫉妬していた私。

そんな弟の借金問題が、今度は家族全体を苦しめることになりました。

父と母の関係。
弟の借金。
家族のお金の問題。

私は長女として、

「なんとかしなければ」
「家族を守らなければ」

と、また自分のことを後回しにしていきました。

家の中は、まるで戦争のようでした。

母の「やめて!!」という声が響き渡る。

ゆっくり眠れる場所もない。

睡眠不足のまま仕事に行き、心も身体も休まらない。

それでも私は、頑張るしかないと思っていました。

大人になり、私は看護師になりました。

30年間、看護師としてたくさんの人の「心と身体の痛み」に寄り添ってきました。

でも、私自身の人生では、

「愛されたい」
「認められたい」
「大切にされたい」

そんな思いを、ずっと抱えていました。

その思いは、いつしかパートナーにも向けられるようになりました。

はじめは真面目で優しかったパートナーが、父と同じように暴言を吐くようになり、手が出ることもありました。

それでも私は、自分から離れていくことができませんでした。

苦しいのに離れられない。

愛されたいのに、愛されていると感じられない。

同じような関係を繰り返す中で、

「私は愛されない人間なんだ」

そんな思いを、何度も自分に刻みつけていました。

仕事も激務。
家庭の問題も続いている。

職場では怒られたり、責められたり、無視されたりすることも増えていきました。

職場に定着しても満足できず、何度も仕事を変えました。

「なんで?」
「どうして私はこうなんだろう?」

自問自答を繰り返す毎日。

お酒や食、占いに頼ったり、カウンセリングを受けたり、カウンセラーの学校に通ったり、本を読んで学んだりもしました。

それでも、心の奥のもやもやは消えませんでした。

そして、

「死にたい」
「どんな死に方が楽なんだろう」

そんなことまで考えるようになりました。

そんな私が、あるメソッドに出会いました。

最初は、

「自分を好きになるなんて無理」
「愛されるはずがない」
「自分の感情って何?」
「私が望むことなんて、かなうわけがない」

そう思っていました。

でも、セッションを受けながら、少しずつ自分と向き合っていきました。

そして、いつの間にか、私の毎日は信じられないほど穏やかに変わっていきました。

「私は、父からも母からも愛されていたんだ」

そう気づけたとき、

「私は、生きていていい」
「ここに存在していい」

そう感じることができました。

そして、私の人生に大きな転機が訪れました。

弟の死です。

20歳の頃から続いていた弟の借金苦。

長い間、家族の中で続いていた経済的な問題。

幼い頃から弟に嫉妬していた私。

「弟がうらやましい」
「どうして私はいつも我慢しなければならないんだろう」

そんな気持ちを抱えていた私でした。

それなのに弟が亡くなったとき、私は言葉では表せないほど、たくさんの感情に包まれました。

嫉妬していたこと。
憎らしいと思ったこと。
心配していたこと。
守らなければと思っていたこと。

いろいろな感情が、心の中に溢れてきました。

そして弟の死を通して、私は自分の生き方を深く見つめることになりました。

私はこれまで、

家族のために。
誰かのために。
誰かを守るために。

自分を後回しにして生きてきた。

我慢して、頑張って、耐えて、
自分自身を大切にすることを忘れていた。

そして、気づいたのです。

私は、自分を犠牲にして、自分自身を雑に扱って生きてきたんだ。

弟の死をきっかけに、

「私も、自分の人生を生きていい」

そう、初めて自分自身に許可を出すことができました。

そして、幼い頃から抱えていた弟への嫉妬も、

「私も愛されたかったんだ」

という、自分の本当の気持ちとして受け止められるようになりました。

弟を責めるのではなく、
弟を羨んでいた自分も責めるのではなく、

「あの頃の私も、ただ愛されたかったんだ」

そう思えるようになったのです。

すると、あんなに喧嘩の絶えなかった両親にも、少しずつ変化が起きました。

母が自分の本音を言えるようになり、両親は寄り添って生活できるようになりました。

そして父から、

「俺は発達障害だったのかもしれない」

という言葉を聞きました。

さらに、

「さと、ありがとう」

という言葉を聞くことができました。

その言葉を聞いたとき、長い間抱えていた私の心の痛みが、少しずつほどけていくような感覚がありました。

私は30年間、看護師として、たくさんの「心と身体の痛み」に寄り添ってきました。

身体の傷には気づけても、心の傷は目には見えません。

人間関係の中で傷ついていても、

「こんなことで悩んでいる自分が悪い」
「我慢しなくちゃ」
「誰にも言えない」

そうやって、一人で抱えてしまう人はたくさんいます。

私自身が、ずっとそうだったからこそ分かることがあります。

本当は誰かに話したかった。

でも、話せる場所がなかった。

だから私は、

「悩みごとカフェ」

で活動を始めました。

ここでは、無理に答えを出さなくても大丈夫。

うまく話せなくても大丈夫。

泣いてもいい。
怒ってもいい。
言葉にならなくてもいい。

あなたがずっと話せなかったことを、どうか安心して話してください。

あなたの心の声を、一緒に聴いていきましょう。

もう、一人で抱えなくていい。

私は、あなたのそばにいます。

そしてあなたが、

自分を大切にしながら、
自然と自分らしく、望む人生を歩んでいけるように。

私は、あなたの伴走者でありたいと思っています。

Certification

資格

  • 看護師資格取得
  • エナジーマインド学資格取得
  • 性愛カウンセラー資格取得
  • 量分子感情変換メゾット終了

Career

キャリア

  • 幼少の頃から両親の離婚問題や父親のアルコール依存、暴言暴力の家庭で育つ
  • 20歳の頃から弟の借金問題に苦しむ
  • 50代メゾットに出会い、両親との関係構築、生きづらさを解消
  • 弟の死より自分を愛することに気がつき、パートナーシップを改善
  • これらの経験を活かしカウンセラーとして活動を始める

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