寄添恵子

カウンセラー

Profile

プロフィール

寄添恵子

ずっとずっーと、心の重荷や苦しみを抱えたままどうしたらいいか分からず、一人で悩む日々を送っていませんか?ほんの少し勇気を出して、もし良かったらあなたの感じている今の気持ちや心の中の想いをどうぞ私に話して見てください。あなたが幸せに生きれるお手伝いさせていただきます。安心してカフェへ遊びに来てくださいね。

得意な相談

親子関係、不登校・引きこもり、恋愛・婚活のこと全般、夫婦・結婚全般、人生相談全般

カウンセリング方法

ビデオ通話、音声通話、チャット、女性のみ、対面(対面可能エリア:青森県)

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Story

ストーリー

こんにちは! 寄添恵子(よりそいけいこ)です。
この度は、たくさんある中から私のプロフィールまでたどり着いてくださったことに心から感謝いたします。

私は現在看護師として働いており、放課後等デイサービスを行っている「一般社団法人まんまる結び」の専属カウンセラーとして活動させていただいております。

自己紹介と共に私がカウンセラーとして活動したいと思った経緯をお伝えさせていただきますね。

【幼少期】
私は青森県の田舎で育ち、祖父、祖母、父、母、姉、兄、の7人暮らしで、父と母は酪農や農業で生計を立てて暮らしていました。私が小さい頃は、父と母は朝から晩まで働いており、また、祖母が癌で入退院を繰り返し、父も病弱でよく入院をしていましたので、母は、一人で全てを背負っていたようでした。

とてもじゃないけど子供のことなんて構っていられない。生きるのに精一杯。母からはそんな雰囲気が醸し出されていました。
そのためか母はいつも怒ってばかり。母に何かを伝えたいときはいつもビクビクしていました。今思えば母の笑顔なんて見たことがなかった。両親との触れ合いや思い出はほとんどなく、欲しい物を買って!と言えない幼子の私は母の財布からお金を盗んだり、時にはお店で万引きをしたりしたこともありました。(お金がないことを知っていたから親にはとても言えなかった)

とある日の出来ごとを今でも鮮明に覚えています。
その日は、母が父の入院先に看病に行くことになっていました。当時5歳の私は、そのことさえも知らされなかったのですが、気がつくと母は黙って玄関を出て行きました。
その姿を私は見かけ母を追いかけたのでした。


「お母さん、どこ行くの?私も連れて行って!」心のなかでそう叫ぶ私。

お母さんに気づいてほしくて、今まで出したことがないくらいの大声で叫びました。


「おかあさーん」これじゃ、届かないんだ。

「おかあさーーーん」更に大きな声を張り上げます。

「おかあさーーーーーーーん!!」

これ以上もう声が出せないほどの大声を張り上げました。

母に聞こえたのか、一瞬私は期待をしたのでした。
しかし、母は後ろを振り向くことなく更に走って行ってしまいました。

その母の姿を見て私は、大声で泣き叫びました。
悲しくて、寂しくて。心が張り裂けそうになっていました。


ただただ、お母さんに包まれたいだけなのに、こんなにも大声を出して呼んでいるのに、私の思いは届かないんだ。何を臨んでも無駄なんだ。そんなふうに思ったのでした。


そして、5歳の私は決断したのでした。

・お母さんには私の気持ちは届かないんだ。

・どんなに求めても届かないんだ。

・お母さんに甘えたいと思う気持ちはやめよう。

・できる限り迷惑をかけないいい子でいよう。

そのため、苦労ばかりしている親を助けたい!その一心で働きながら看護師になる道を選びました。

その影響もあり私は人に甘えるとか、頼るとか、人の力を借りるとか出来ずにずっと一人で頑張る人生を過ごしてきました。

【元旦那さんとの価値観の違いに苦しむ】

高校卒業後、看護師になるため働きながら5年かけて資格を取得しました。
その後、看護師として働き同じ職場で出会った彼と結婚し、4人の子供を授かりました。夫、義母と私、4人の子どもたち7人で暮らしていました。


夫と義母は元々とある宗教の信者さん。義母と同居するようになり夫は熱心に義母と宗教活動をするようになりました。次第に宗教への執着がどんどん強くなり、私や子どもたちへの強要が強くなってきたのでした。

クリスマス、初詣、お祭り、全て禁止事項。 


価値観の全く異なる私とは折り合いがうまく行かず、いつも争いが絶えませんでした。
私の気持ちを理解してもらいたくて、何度も話し合いを持とうとしましたが、話せば話すほど、全く話が噛み合わず余計にストレスが溜まる。
そして、家庭の中に私は居場所を失っていきました。

「この人には幸せにしてもらおうと思うことが無理なのだ。誰かに幸せにしてもらうのではなくて、自分で幸せになるしかないんだ」

このときに人生で初めて、自分で幸せになると決断したように思います。

しかし、幸せが何なのか?全くわからない。今までの人生で心から幸せを感じたことがなかったからなのです。でも、幸せになりたい! どうしたら、幸せになれるの?
その答えが知りたい!

住む家があって、可愛い子供達が4人も居て、旦那さんは真面目に働いてくれて、外から見たらなんの不自由もない幸せな家族にしか見えないだろうけど、私にとっては、全然幸せじゃない!
じゃ、何があれば私は幸せだと感じるのだろう?
そんな風に感じていたのを今でもはっきりと覚えています。

そして、自分にとっての幸せについて模索する日々が始まりました。

【初めて幸せを心から感じた瞬間】

幸せになりたい!と願った私のところへ丁度、夢のようなお話が飛び込んできました。
それは、権利収入を得れるネットワークビジネスのお誘いでした。
そもそもネットワークビジネスがなんだかもわからない私が、権利収入で時間もお金も仲間も手に入れるという夢のような世界を手に入れたくて、夢中になって活動していきました。
商品を使ってみては、人に紹介して会員になってグループのメンバーさんを増やしていく。半年間、新しい人に出会い、沢山のことを学びがむしゃらに活動しました。
仕事しながら、家事、育児しながら。
しかし、体力は限界。


その結果、私の中で罪悪感が芽生えてきたのでした。
動かなければ売り上げにならない。でも活動すること自体が苦痛に感じていました。
その苦しみを誰かに話す事もできず、苦しくて苦しくて、私が望む幸せはこんなに頑張らないと手に入らないものなのか?もう、ビジネスはできない。


お世話になっている、応援している人への申し訳なさで胸が張り裂けそうで、私はビジネス活動を辞めることにしたのです。
そして、毎日目まぐるしく過ごしていた日々から、ゆったりと過ごせる時を感じた瞬間。
『あっ、今この心がとっても落ち着いている時間、幸せなんだ。ということは、今この瞬間が幸せってことなんだ!』
そう、私が初めて自分で幸せだ〜と認識した瞬間でした。

幸せを手に入れようと頑張っていたけれど、遠くにある幸せを手に入れるのではなくて、幸せとは、『今ここにあるんだ』と知ることができたのです。
それは、私にとってとても大きな気づきでした。

【更なる日常での苦しみ】


日常の中で幸せを見つけることが増えた反面、夫の宗教の執拗は私や子供達へ更なるエスカレートするのでした。
朝、晩の勤行、お寺通い。本山への登山。
全てにおいて、宗教活動を1番にされるのでした。できれば別れたい。離婚したい。でも子供のためには父親が必要だよね。
4人の子供を一人で育てる自信もお金も覚悟もありません。親には絶対に迷惑をかけられないから助けてなんて言えない。
誰に相談したらいいのか?どうしたらいいのか?ずっともがいていました。
家庭裁判所に相談に行ったり、弁護士に相談したり、叔父に相談したり。
そして行動で示すために3度の家出をするのですが、私は、結局一人で育てる自信がないからまた帰ってくるのです。
3度の家出をしても何も変わろうとしない旦那。本当にどうしたらいいのか?怒涛に迷う日々を過ごしていました。

【転機が訪れる】

義母が癌で亡くなりました。私達家族だけになり少しは夫は変わるのかな?そう期待していたのもつかの間、さらなる宗教の執拗だったのです。

この人は本当に変わらないのだと理解したときに、ここから抜け出さなくてはいけない。私は強く決心いたしました。そう思った矢先転機が訪れます。
私も子供たちも一切の宗教活動をしない!と決め、意を決して宗教活動に参加しない旨を勇気を振り絞って夫に伝えました。
すると、夫は子供たちへ殴りかかりにいきました。
私は子供たちを守るために夫と格闘し、子供たちに警察へ連絡させ、その後夫はその場から逃げ出しました。警察の力を借りて、警察署で話し合いをし、とうとうその日から別居することになったのでした。


急遽住む家がなくなった私達は怒涛に迷っていると、ちゃんと助けてくれる人が現れるのですね。友人がしばらく家を空けるから使っていいよ~。と家を貸してくれました。
救いの手が現れた!そう感じました。その後、これからどうしたらいいか困っていると「母から連絡があり、子供たちを連れて帰ってきなさい。帰ってくればなんとかなるから」
その言葉に安心し号泣したのを今でも鮮明に覚えています。やっぱり本当に困ったときに助けてくれたのは、母でした! 母の愛は偉大です。
そして、お金もない、住むところもないまま4人の子供のシングルマザーとして大きな不安を抱え新たな人生の一歩を始めたのでした。

その他にもここには書ききれないほどの経験をしてきました。


・5人目の流産(このとき赤ちゃんからのメッセージを頂く)

・長女の不登校 

・離婚調停(2年間離婚できなかった)

・過去世の記憶が蘇る

・境界型卵巣腫瘍の診断

・新しいパートナーとの出会い

・子宮卵巣摘出手術

・次女との関係、などなど。

これらの辛く苦しい経験を経て、命のこと、生きることの本当の意味を知りたくて、どうしたら人は真の幸せにたどり着けるのだろうか?そんな疑問の答えを知りたくて。
愛のこと。心のことを学び、インナーチャイルドセラピストの資格を取得いたしました。

今だからわかります。全ての経験は私に必要な気づきや、学び、自分の成長の為に、人生を豊かにしてくれる経験だったんだと。
しかし、1人では乗り越えられなかったのです。

心の中で感じていること。思っていることを話した時に、理解しようとしてくれる人がいる。
ただそれだけで、強くなれた気がします。
それは、カウンセラーの先生、セラピストの先生、仲間との出会いが私の人生に大きく影響与えてくれたことは間違いないと言えるでしょう。
ただただ、寄り添ってくれる存在の大きさに気づかされました。

だから、今度は私が皆様のお役に立つ番なのです。
どうぞ、心の赴くままに気楽にお話してみませんか?

勇気を出して、その一歩がその先の人生を大きく変えていきますよ。

どうぞお気軽にお茶飲み感覚でカフェにお話に来てくださいね。

あなたとの出愛楽しみにしています。

Certification

資格

  • 看護師
  • インナーチャイルドセラピスト認定講師
  • 日本メンタルエステ協会メンタルセラピスト

Career

キャリア

  • 看護師として働く
  • 別居、子供4人のシングルマザーとしての人生再スタート
  • 新しいパートナーとの出会い
  • インナーチャイルドセラピスト資格取得
  • これまでの経験を活かし、カウンセラーとして活動中

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